はじめまして、さみだれです。
現在、某日系企業で海外顧客対応を担当しています。ほぼ毎日、英語での会議(顧客+海外支社)があり、日常的に英語を使っています。
TOEIC960(Listning 495/Reading 465)。過去ヨーロッパで3年ほど駐在員として業務をしていました。
上記だけ見ると、「どうせ英語ができたんでしょ?」「帰国子女なんでしょ?」と思われるかもしれませんが、そんなことは全くありません。
元々は、平均的な日本人の英語力くらいだったと思います。「How are you?」「I’m fine, thank you.」くらいは言えましたが、それ以上は無理!と言った感じです。そもそも、外国人から話しかけられようもんなら、ピヨって耳も口もシャットダウン!と言った感じでした。
仕事も全くできませんでした。新卒で入社した会社では、指示された仕事ができず、いつも上司や先輩に怒られる毎日。何事においても効率が悪く、夜中まで残業することも日常茶飯事。出社が本当に憂鬱で、朝起きるのがただただ辛い毎日でした。人生に希望が持てず、「何のために生きているんだろう…」と思うこともしょっちゅうでした。
そんな日々を送る中、仕事で大きな失敗をします。自分が誤った報告をしてしまった為に、自社だけでなく、関連会社にも迷惑をかけてしまうという大事故をやらかしてしまったのです。当然上司や、関連する人達からも叱責を受け、精神的に凹みます。自分が悪いのは理解しつつ、やり場のない想いを消化し切れずに、その晩は、”会社生活のこと”、”自分の過去のこと”、”これからの人生のこと”を黙々と考え込みました。そして、思考が螺旋上にグルグルと堂々巡りする中、過去から目をそらし続けた事実に直面します。
「何もしなければ、一生このままの人生」だぞと。
過去何度となく認識し、逃げてきた現実。「これが最後のチャンスかもしれない」と心底思いました。
そして決意します。英語を極めて人生を変えると。「これで継続できないなら人生辞めちまえ」くらいの覚悟でした。
当時の私の思考は単純で、「能力が無くても、ネイティブ並みの圧倒的な英語力があれば、厳しい競争社会においても戦っていけるはず」というモノです。そして、過去の学習経験から自分に英語のセンスが無いことを薄々と気付いていた私は、「英語に圧倒的な時間と労力を費やすこと」を決意したのです。
決死の覚悟を胸に、本格的な英語学習を始めます。
ただし、良くあるような「覚悟を決めてからは寝る間も惜しんで勉強して、気付いたら英語がペラペラになっていました!」なんて、簡単なストーリーではありません。今の英語力に達するまでに、私はめちゃくちゃ苦労してきましたし、何度も挫折しそうになりました。ストレスで不眠になったこともありましたし、現実逃避するために大酒を食らった日も数え切れません。
今、「ネイティブ並の英語力です」なんて口が裂けても言えません。しかし同時に、英語によって当時は想像もできなかった生活を送っているのも事実です。会社では重要顧客と英語でWeb会議を行い、年に数回は現地ヨーロッパまで出張。顧客との協議に先立っては、海外支社と人たちと英語でディスカッションして、事前に協議内容を整合。外国人と相対(あいたい)するだけで、ピヨっていた過去の自分からは想像がつきません。
残業時間も減り、私生活も充実するようになりました。ジムで運動したり、色々な分野の本を読み漁ったり、イラストの勉強したり等々、あらゆることに無関心だった私が、今は色々なことにチャレンジをしたい気持ちでいっぱいです。家族との時間も増えました。
英語は、私そのものを変えました。「英語が話せる」という事が、人生の長い間失い続けてきた「自信」を私に与えてくれたのです。
本ブログは、過去の自分と同じ境遇の人を助けてあげたい、という想いから立ち上げました。本ブログを通して一人でも多くの方が英語学習を継続し、「ありたい自分」に成れる事が出来れば、著者としては幸甚です。
更新は、月・金です(たまに遅れたり、スキップします。すみません)。
絵は妻が書いてくれています。
どうぞよろしくお願いします。
さみだれ