自動翻訳機の進化が著しい近年、英語学習の必要性は今後なくなっていくのでしょうか。確かに、Google翻訳を筆頭に、最近のAIおよびディープランニングを駆使した自動翻訳機の進化には目を見張るものがあります。一昔前には、Google翻訳に英語を翻訳させようものなら、複雑怪奇な日本語訳が表示され、その読解に時間を要するという具合に、とても実用に足るレベルではありませんでした。しかし、AIの発達と共に自動翻訳機の精度は飛躍的に向上し、最近はビジネスの場も含め、翻訳機が日常的に使用される頻度が急激に増えてきました。音声認識技術の発達と合わせて、将来、一般の人々が、英語を学習することは不要になっていくのでしょうか。
本記事では、自動翻訳機が完成してもなお、英語を学ぶ必要性がある3つの理由について、紹介していきたいと思います。本記事を読めば、どれだけテクノロジーが発達しようが、本質的に、異なる2つの言語を正確に翻訳することは困難であることが、理解できると思います。
それでは早速、見ていきましょう。
Contents
自動翻訳が出来てもなお英語が必要な3つの理由
理由1:文化的背景まで翻訳する事はできないから
言語=文化なり
英語であれ、中国語であれ、スペイン語であれ、他国の言語を学ぶとは、その国の文化を学ぶのと等価である事を多くの人はあまり認識していません。それぞれの言語は、その国・地域の文化と共に発達し、形成され、そして変化を続けます。言語と文化は切っても切り離せないのです。一方、翻訳機が出来る事は、これらの中の「言語」を切り出して、忠実に翻訳することであり、この文化的背景を汲み取ることはできません。
少し、抽象的な話で分かりづらいと思いますので、少し具体例を挙げたいと思います。
訳しづらい日本語
日本語の中には、そのままでは英語に訳すことが難しい表現がいくつもあり、多くは文化的な背景に起因します。
「よろしくお願いします」
よく使う表現ですが、英語に訳しづらい日本語です。正確に言うと、文脈によって何種類にも意味が異なって来るので、この一文だけでは英語に訳すことができません。日本には、「曖昧さを察し合う」ないしは「曖昧性をあえて残す」という一面がありますが、一方でアメリカを始めとする欧米では、物事をなるべく明確化しようとする傾向があり、このような差分が生じます(「よろしくお願いします」の具体的な日本語役について興味のある方は、Google検索してみて下さいね)。
「お世話になります」
これも非常に訳しづらい表現です。例えば「I appreciate all your help」という風に表現できないこともないですが、何か唐突感というか、大袈裟な感じがして不自然です。日本では、一文入れると柔らかい印象を与える潤滑剤的な役割を担いますが、効率を重視する欧米ではこのような概念はなく、訳す場合は省略する方が自然です。
「もったいない」
有名な例ですが、これも英語に訳しづらい表現です。日本では古くから物を大切にする文化が根強くあり、その思想から生まれた言葉と思いますが、英語で該当する表現がないため、「Mottainai」という言葉が出来てしまったほどです。
上記、日本語→英語の例ですが、英語→日本語についても然りです。
宗教観や慣用句も
上記以外にも、例えば宗教感が異なれば、そのまま言葉通りに訳しても通じない事もあるでしょうし、慣用表現も多くは一対一で該当する表現はなく、似た表現がある場合でも、微妙なニュアンスが崩れるのは避けられません。
このように言葉だけを機械的に訳す自動翻訳機では、いくらその精度が上がったとしても、文化的背景までをカバーする事が出来ないため、そこに限界があります。
理由2:話し言葉は完全でないから
書き言葉においては、どの言語においても一定の文法や構文に基づいて、あるロジックをもって文章が構成されることが多いですが、こと、話し言葉になると事情が変わってきます。我々の日常会話を思い返して頂くと分かると思いますが、通常の会話において、省略や短縮が多く行われ、さらに文章自体が、完全でなく文法的に誤っているケースも多くあります。言語学的には意味をなさない文章も、その場の文脈や過去の経緯から推測し、会話を進めるケースは実際の会話においては、日常茶飯事です。
さて、これら非常にラフな話し言葉を、自動翻訳機が理解し、意味を成す文章として翻訳できるか、というと甚だ疑問です。省略や短縮、文法的な乱れも一定の法則を見出せれば、その可能性もありそうですが、これら言葉の“ばらつき”は、話す人や状況に大きく依存するため、共通のアルゴリズムで動く自動翻訳機が、上記“ばらつき”を認識し、臨機応変に対応できる可能性は極めて低いと考えられます。
理由3:翻訳タイムラグが必ず生じるから
仮に長い研究と開発によって、文化的背景を翻訳に織り込み、人それぞれが持つ言葉の“ばらつき”を考慮できる、スーパー翻訳機が、将来できたとします。さて、この場合においても、英語を学習する必要性が無くなるという事にはなりません。それは、翻訳タイムラグが必ず発生するからです。
The Italian airline started the service earlier this month on a trial basis with the cooperation of regional authorities and airport operators
このイタリアの航空会社は、地方の行政当局と空港運営者の協力を得て今月の先頃、このサービスを試験的に開始しました。
※NHKゴガク ニュースでゴガク「”2020年10月12日(月)の放送内容”」から引用
例えば、上記文章を同時通訳を行うとして、どのタイミングで翻訳を開始できるかと言うと、実は最後まで待たないと翻訳ができないのです。意味の区切りで細かく翻訳することも可能ですが、自然な日本語にならないですし、後に続く文章によっては、前半の文章の捉え方が変わる可能性もあるため、基本は一文が終わるまで翻訳機は何もできないのです。これは、英語と日本語の文法構造の違いから来ており、多くのケースで、英語と日本語は主語を除き語順が逆になる事が多いため、この翻訳タイムラグはどうしても避けられないのです。
そうすると、翻訳機を介してコミュニケーションを取ろうした場合、単純に2倍の時間を要することになり、非常に効率が悪いということになります。今まで共通言語で、1時間で済んでいた会議が2時間かかることになり、とてもではないですが、言語の壁を取り払う救世主とは言い難いです。また実使用上においては、例えば英語でコミュニケーションを取ることに慣れている人からすれば、いちいちこのタイムラグが生じることは、実際の時間ロス以上に、ストレスを感じることでしょう。
まとめ
以上、自動翻訳機が出来ても英語学習が必要な3つの理由について、説明してきましたが、いかがだったでしょうか。
文化的背景の相違や、言葉の“ばらつき”を克服したスーパー翻訳機が、我々が生きている間に完成するとは考えづらいですし、もし仮に何かテクノロジーのブレイクスルーでもって、それらの問題が解決したとしても、言語構造の差分に起因する「翻訳タイムラグ」の問題が必ず残るため、英語を始めとする言語を学習する必要性が、将来無くなることはない、というのが本記事の結論です。
そもそも海外の人たちとコミュニケーションを取ろうとした時に、翻訳機を介さずに生の声で話をした方が、より深く心を通わすことができる、という点において、異論を唱える方はいらっしゃらないと思いますし、そこはもはや理屈では語れない世界だろうと思います。
以上お付き合い頂きありがとうございます。